久しぶりに癒された
好きな女優の1人に、小林聡美さんがいる。
小林さんは、『やっぱり猫が好き』以来、ずっと気になる女優さんの1人なのだけれど、そのつながりで見たのかどうかは覚えていないが、『かもめ食堂』という映画がある。
フィンランドで、1人の日本人女性が「かもめ食堂」という食堂を開き日本食を出すのだけれど、その店の雰囲気や唐揚げやとんかつ、鮭の塩焼きなどの食事がおいしそうで、同時に作品全体に漂うゆったり、のんびりした空気感というか、世界観が好きなのである。
この作品のシリーズというか、同じテイストで『めがね』や『プール』、などいくつかの映画作品があって、同じテイストでいえばドラマもいくつかある。
その中で『すいか』というドラマがある。
2003年に放送されたようで、当時は視聴率は低かったらしいが、根強いファンが多く、DVDやブルーレイなんかも発売されている。
さて、今日、紹介したいのはその脚本を文庫化した本である。
「ハピネス三茶」という食事つきの下宿屋に暮らす女性4人の日常を描いた作品だ。
ドラマでは、小林聡美、ともさかりえ、市川実日子、浅丘ルリ子がその四人を演じている。
下宿屋の女性四人の話、とだけ書くと、なんともつまらなさそうな雰囲気はあるかもしれないけれど、それがどっこい、とても面白い、というか素晴らしい!
ストーリーを細かく伝えたいわけではないので、主要人物たちの職業だけを書いておくと、信用銀行のOLにエロ漫画作家、下宿屋の管理人に大学教授。
信用銀行のOLの同期(小泉今日子)が銀行の三億円を横領して逃亡するというくだりもあるけれど、そんな非日常的な物語の側で、悩み、迷いながらも一生懸命「生きている」人たちが見事に描かれている。
この作品の何が素晴らしいかといえば、何気ない言葉、である。
美しいわけでもなく、おしゃれなわけでもない、誰もが日常的に普通に使っている言葉や会話なのに、心に深くしみわたってきてグッとくる。
きっと、それらの言葉が、自分の心の奥底にある悩みだとか「もやもや」だとかに向き合うように語られ、そうした悩みだとか「もやもや」だとかがあっていいんだよ、と自分自身のいろんな「もやもや」を受け入れてもらえた安心感のようなものが心の中にこみあげてくるからだろうと思う。
登場人物たちのセリフは、劇中で登場人物たちだけに向けられているのではなく、観客(読み手)に直接向けられているような気になるから、心に響いたのかもしれない。
この作品を書いたのは、木皿泉さんである。
脚本だけでなく、小説やエッセーなんかも書かれているらしい。
和泉務さんと妻鹿年季子さんのご夫婦が共同で執筆されているそうである。
言葉というものは、こんなにも優しく、力強いのだと、改めて痛感した。
昨年から新型コロナを筆頭に、あれこれと心落ち着かない日常で、疲れ果てている今日この頃だけれど、この『すいか』を読んで、久しぶりに救われた気がしたし、久しぶりに癒しの時間に出会えた気がする。
眠れない夜に小川洋子さんと
いまの時刻、3:54。
眠れない。
このところ、夜中に目を覚ましてはしばらく眠れなかったりする。
ベッドで悶々と考えたりするのが嫌で、また、そういう時間がもったいない気がして、今夜は小説を読んでみた。
小川洋子の『偶然の祝福』という文庫本である。
まだ全部は読んでないけれど、おもしろい。
というか、不思議な世界観でまとめられた、捉えどころのない連作短編である。
作家の「私」が経験する「日常」のごく一部を切り取った短編が集まったような作品集なのであるが、そもそも、この中に収録されている『キリコさんの失敗』という短編が読みたくて購入した。
この短編、某学習塾の教材に使われていて、最近は小学生の教材に小川洋子さんが使われるのかと驚いたりした。
小川さんの作品はこれまでにも何度か読んだことがあって、独特の空気感と捉えどころのない世界観が好きなところなのである。
この『偶然の祝福』は、作家の「私」が小川さんなの…なんて、ときどき考えてしまうところもあって、作品世界と現実世界の境界の曖昧さを感じさせるところも読んでいて奇妙で楽しかったりする。
それにしても、眠れない、深夜のひっそりと静まりかえった室内で、薄明かりの中、小説を読むというシチュエーションは私にとっては珍しく、そういう状況が小説本来の世界観とは別のテイストを加えてこの小説の感想として私の記憶として残っていく。
それもまた、小説の楽しみ方なのかもしれない。
平日のリビングルームで
平日の午前中、自分以外は誰もいないリビングルームの窓を開けてぼんやりする時間が好きである。
ラジオの音も音楽もなく、窓から入ってくる小さな喧噪が心地いい。
下の写真のような町が見下ろせればなおいい、と思うけれど、まあそれは現実問題として無理だから、せめて写真だけでも、気分を感じたい。
私はそもそも、ぼんやりすることが苦手で、何かすることがないと何をしていいのかわからず戸惑ってしまうタイプなので、ぼんやりするといってもせいぜい数分が限度なのだけれど、その時間にけっこう幸せを感じたりする。
このささやかなリラックスタイムだけれど、これが休日だと全然だめなのである。
家の中に一人ではない、というのが理由ではない。
休日と平日は、なぜか空気が違う。
町の喧噪も違う。
休日は、なんとなく「静か」なのである。
都会のど真ん中で生活しているわけではないから、平日といってもそれほどうるさいということはないのだけれど、それでも平日は窓からの「音」も、なんとはなしに「活気」が感じられる。
思い返してみると、子供のころから各曜日にはそれぞれの「におい」と「空気」を感じる子供だった気がする。
中でも一番好きだったのは、金曜日と土曜日の夕方だ。
私は結婚するまでは商業地に住んでいて、一年中、騒々しい「音」の中で育ってきた。
金曜日と土曜日の夕方がなぜ好きだったのかはわからないけれど、まだ日が完全にくれる前の夕方に、休日を目前にした「解放感」と「ワクワク感」を感じていたのかもしれない。
いまでは、曜日の「におい」というのはあまり感じることはないけれど、この「におい」は、雨が降る前のしめった空気のにおい、を感じるのと少し似ている気がする。
いまは土曜日の夕方で、パソコンの前にある窓からは、少しひんやりした初夏のそよ風が入ってきて気持ちがいい。
梅雨真っ最中のいまの空は曇りで、天気予報は晴れだったのに、またいつ雨が降るともわからない空模様である。
それでも、この穏やかな休日の時間は平日の「おだやかなリビングルーム」とは少し違うけれど、何とはなしに心地いい。
混沌とした世の中の様子にげんなりした気持ちになることが多い今日この頃で、ささやかながらひと時の癒しを感じられることが嬉しかったりする。
本とストレス発散と
この写真は20年近く前のパリかロンドンの街角。
若かりし頃に行った数少ない海外旅行の一場面の一つで、たまたま見つけたのだけれど、いくら思い返してもどちらの都市で撮ったのか、全く覚えていない。
当時は新型コロナなんてものは当たり前だけれど存在さえしておらず、けれども偶然ながら写真には人っ子一人映らず、車もほとんどないから、いまのパリかロンドンかと言ってもわからないかもしれない…なんて少し思ったりした。
それにしても、いままた、特に関西では変異種が流行ってきていて、せっかく緊急事態宣言が解除されたのもつかの間、全国的にまた大きな流行の山が来るのではないかと心配である。
とはいえ、一年以上も自粛生活をしていると、さすがに疲れてきていい加減ストレスの限界を感じることもこの頃は多くなった。
いい加減、自粛生活の中での、私にとって新しい「暮らし方」つまりは「気持ちの持ち方」を開拓していかなければヤバいと思うようになってきた。
ところで、外出は近所への生活必需品の買い物だけの自粛生活をずっと送っているのだけれど、先日、あることに気づいてかなり驚いた。
自粛生活の中で、ネットショッピングは必然的に増えていたのだけれど、といって、そもそも実際に手に取って納得して商品を買うタイプなので、あるもの以外は自粛生活前と比べても買う量はそれほど変わりはなかった。
しかし、あるもの、だけはとても増えていた。
そのあるもの、とは、「本」である。
家の近くにジュンク堂があるから、本はもっぱらそこで買う。
けれど、コロナが流行してネットで買うことが多くなった。ジュンク堂と連携しているhontoで買っている。
それは単に店舗との連携がスムーズで使い勝手がいい、ということだけではなくて、hontoから送られてくる本たちは丁寧に梱包されていて、本への愛情が感じられるところが嬉しいからである。
さて、そのhontoだけれど、ポイントカードがあって、そのカードの履歴を通して、ネット上だけではなく、実店舗での購入履歴も見ることができる。
先日、たまたま購入履歴を見ていてすごく驚いた。
ここ数か月、毎月の書籍購入代がすごいことになっていた!
自分では、それほど買っているつもりはないのだけれど、よく見ると、子供にまつわる本をよく買っていた。
子供も本が好きでよく買っているところにもってきて、自分の本、ではなく「教育のためだから」という免罪符的な意識から、気が付けばあれもこれもと、ついつい買ってしまっていたのである。
反省……
きっと、私なりのストレス発散だったのだ、と思うと同時に、自分が思っていた以上に私は本が好きなのだ、と改めて思った次第だけれど……
ちょっと気持ちを引き締めます。
気楽に、ゆったりと
年が明け気が付けば3月。
年度替わりということも手伝って、なんだがバタバタする毎日だ。
あまりにバタバタするので、毎日の食卓も、副菜は多少作るけれど、テイクアウトのお惣菜が多く並ぶようになってしまった。それを許してくれているパートナーには感謝感謝である。家族の健康を心配しながらも、もう少し落ち着くまでは……と家族に甘えてしまう自分が情けない。
そんな中、とある作家のエッセーを目にした。
その作家は、年も近いのだけれど地元が一緒で、親同士は顔見知りだったりする。そんなわけで、そのエッセーも、作家が育った町のことについて触れてている部分は私にとっては結構リアルで、読みながら私も生まれ育った町に思いをはせていた。
と、幼いころの作家の両親と食事についてふれている部分があった。
ご両親は共働きで、特にお母様の仕事が忙しく、夕食はほぼお父様が仕事から帰って作っていたそうである。休みの日も、仕事で忙しいお母様に代わり、お父様が子供たちを遊びに連れて行っていたらしい。
私もこのお母様のことと顔見知りなので少しは知っているけれど、真面目で温厚で優しい人である。子育て真っ最中の当時は、夫へも子供たちへも「うしろめたさ」を感じていたかもしれない。
ご本人を知っているだけに、このエピソードを読んだとき、自分も子育てをしているということもあって、なんだが胸が痛んだ。
同時に、世の中にはいろんなご家庭がある、と強く思った。
みんな、他所の家の中のことをすべて見ることはできない。
話に聞いたり、実際に目にしたりして、こんな感じ、と想像することはあっても、それは実際の姿ではない。
隣の芝生は青く見える、というけれど、あれこれと「周り」と「自分」を比べては、ああでもないこうでもない、とついつい思ってしまう。
ときには、ちゃんと家事と子育てをこなせていない自分に、ひどく落ち込んでしまうこともある。
けれど、すべてを「完璧」にこなしている人なんて、実際にいるのだろうか。
みんな、足りないところがあるから、不完全だからこそ、「人」なのであり、その足りない部分を、ときには家族に、ときには友に、助けてもらっていいのではないか。
みんな、みんな違った生き方、考え方をしていて、みんな違っていていいのだ。
エッセーを読んだとき、ふとこの考えに思い当って、少し気が楽になった。
気楽に、自分という「人間」を受け止めてあげながら、ゆったりと構えて生きていきたい、と強く思う今日このごろである。
自分の理想の暮らし方を求めて
新しい年がやってきた。
晴れやかですっきりとした気持ちで迎えたいお正月。
でも今年はそういう気にはなれず、といって、やっぱり新年を迎えたのだから、今年一年を自分なりの「良い方向」に向かわせたい、という気持ちは大きい。
大きなことは一度にできないけれど、少しずつ、少しずつ、自分が「理想」とする「暮らし方」を作っていこうと決めた。
自分の「理想」というのが、なんとなくのイメージでしかなく、具体的に表現できないのが残念だけれど、それも少しずつ意識して形にしていこう。
とにかく、一歩足を踏み出してみよう。
そうしなければ何も始まらない。
というわけで、というわけでもないけれど、年末、古くなったIKEAの水切りラックを捨てた。
代わりに、思い切ってラックをやめ、水切り用のシートを置くだけにした。
洗えばすぐに布巾でふいて、シートは干して乾かす。
心配していたよりも、大きな不自由を感じることもなく、むしろキッチンの作業スペースが広くなって気持ちがよくなった。
そういえば、このブログも一年が過ぎ、確か始めたのは年末だった。
どうやら年末は、私にとって、新しい一年をどういう風に過ごしていきたいかを考え始める時期のようである。
子育てをしている親の心に、優しい風を吹かせてくれる本を見つけた
母と子。
子と母。
父と子。
子と父。
子育てをしていると、意識していなくてもこの関係は常に頭や心のどこかにあって、そこに自分の理想だとか親と子のお互いの現実だとか、様々な要素がからみあって、ときには悶々としたり、ときには落ち込んだり、ときには幸せをかみしめたり……と、まあ、とにかく、子供を育てているといろんな感情がいつも押し寄せてくる。
先日、家族で本屋さんに行った。
あれこれと迷った上げく、何か感じたものがあったのか、子供が一冊の本を手に取った。
この表紙、見覚えがあった。
そして、タイトルも。
よほど面白かったのか、家に帰るなり読み始めた子供は、サクサクと読み進め、あっという間に読み終えた。
すごく面白かったから、お母さんも読んでみなよ。
そう進められて読んでみた。
どこにでもいる活発だけれど心優しい男子小学生とパートをしている母、そして家族思いの父。
子供はすすんで勉強をするタイプではなく、朝も母に起こされることしばしば。
いつも母に小言を言われてしまう。
そんな少年が、ある日、母親の取扱説明書を作って母を上手に扱おう、なんて思いつき作り始めてみる。
と、これだけ書くとあまり面白みがないように感じてしまうのだけれど、それが全然、とにかく本気でおもしろい!
笑った!
うんうん、とうなずいた。
ほろりとした。
泣いた。
目にこみ上げてくる熱いものをおさえられなかった。
その姿を見ていた子供が、やっぱり泣くと思った、とニヤニヤしていた。
この本の何がいいって、ストーリー全体にユーモアがある。
親の気持ちも子供の気持ちも、丁寧にきちんと描かれていて、どの登場人物たちもきちんと作品世界の中で生きている。
児童書だから、大人の私が読むとあっという間に読めてしまうけど、読んだあと、なんだかとても温かい気持ちになれた。
また、この作家の作品を読んでみたいという気にもなった。
最後のオチも良かった。
オチだからここで書きはしないけれど、すとんと心に落ちて気持ち良かった。
想像通りという人もいるだろうけど、あのオチがとても気に入った!
子育てをしていると、親は本当に色々と迷う。
嬉しいこともあるけれど、楽しいこともあるけれど、毎日が試行錯誤の連続で、悩んだりすることの方が多いかもしれない。
そんな中で、この本は子育てをしている親の心に、優しい風を吹かせてくれる。
子どもと一緒に読んで笑うもよし。
泣くもよし。
子どもが小さいからこそまだ持てる、大人になったら決して味わえない「密の時間」を過ごすにはピッタリの一冊です。