子どもの心の引き出しにある絵画
ときどき、本当にときどきだけれど、美術館に行く。
気になったアート展がやっているときくらいなので、一年に一度いくかいかないかくらいのことだけだけれど、たまにいく美術館はとても好きだ。
美術館は、たいてい天井が高くて、壁は作品が栄えるように真っ白で、すがすがしい空気があるところが好きである。
でも、たまに人気の絵画展などに行くと、あまりの人の多さに少しうんざりしてしまう。
このコロナ情勢の中、美術館は完全には開館されていないことが多いし、「密」の空間をつくらないように工夫されているだろうから、美術館内で混雑することはいまはないだろうけど、でも人であふれた美術展は少しもくつろげない。
最後に美術館に行ったときは、もう半年くらい前になるだろうか。
実を言うと、この春にも行きたいものがあったのだけれど、コロナで行けず、残念な思いをした。
半年ほど前に行ったときは、子どもも一緒に行った。
モネとかシャガールとかが出ている普通の絵画展だったのだけれど、子供に尋ねると一緒に行くというので連れて行った。
ついてきたのはいいが、案の定、小学校低学年の子どもには退屈だったみたいで途中から飽きだしたけれど、それでも早く帰ろう、とは言わず、静かについてきていた。
その中に、一点だけルソーの絵があった。
最初、ルソーだとは知らなかったのだけれど、その色遣いの美しさに思わず引き寄せられたのだった。
数か月前、小学館あーとぶっくシリーズを紹介したけれど、その中にルソーの絵本もある。
アンリ・ルソー(1844-1910)
フランスの素朴派の画家。
パリ市の税関職員だったのだけれど、好きで続けていた絵に専念するため、22年ほど勤めていた税関を辞めて絵に専念する。
その作品は生前の評価は低かったが、ピカソやゴーギャン、ロートレックなど一部の理解者からの評価は高かったらしい。
ルソーは生きている間は大好きな絵で思うような評価を受けずさぞ残念な思いを何度もしてきたことだろうかと想像するが、そんな中で周囲の心無い言葉や行為に負けることなく描き続けた行為はとてもとても素晴らしいと思う。
私は絵のことはよくわからないが、ルソーの色使いは本当に好きで、見ているとなんとはなしに心が和んでいく。
もちろん、現在に至るまで名前も作品も残り続けているのだから、その技術や才能は、見る人がみればすごいのだと思うけれど、そういう専門的なことは別にして、作品に独特の「世界観」を表現でき、かつ、見る者の心を「刺激する」ことができるということは、何かを表現するものとして素晴らしいと思う。
逆に言えば、どんなに技術があろうが、専門的な知識が深かろうが、見る者の心に語りかける「何か」を表現できなければ、表現者としてはマイナスではないかと思ってしまう。何も知らない素人感覚なのだろうけど……。
美術館からの帰り際、ショップで何かお土産を買ってあげる、と子どもに言うと、しばらく迷ったあげく、作品展の図録を選んだ。
どうせ読まないのに買うなんてもったいない、なんて思いながら買ったのだが、吟味して買っただけあって、いまも気が向けば開いて眺めている。
好きなのか、と聞くと、好きだと答え、きれいな絵を見ているのが好き、だとも言ってきた。
小学館のあーとぶっくのおかげかどうかはわからないけれど、子どもの「心の引き出し」の中に絵画がいつの間にかひっそりと収まっていたことが、親としては少し嬉しかったりする。