気楽に、ゆったりと
年が明け気が付けば3月。
年度替わりということも手伝って、なんだがバタバタする毎日だ。
あまりにバタバタするので、毎日の食卓も、副菜は多少作るけれど、テイクアウトのお惣菜が多く並ぶようになってしまった。それを許してくれているパートナーには感謝感謝である。家族の健康を心配しながらも、もう少し落ち着くまでは……と家族に甘えてしまう自分が情けない。
そんな中、とある作家のエッセーを目にした。
その作家は、年も近いのだけれど地元が一緒で、親同士は顔見知りだったりする。そんなわけで、そのエッセーも、作家が育った町のことについて触れてている部分は私にとっては結構リアルで、読みながら私も生まれ育った町に思いをはせていた。
と、幼いころの作家の両親と食事についてふれている部分があった。
ご両親は共働きで、特にお母様の仕事が忙しく、夕食はほぼお父様が仕事から帰って作っていたそうである。休みの日も、仕事で忙しいお母様に代わり、お父様が子供たちを遊びに連れて行っていたらしい。
私もこのお母様のことと顔見知りなので少しは知っているけれど、真面目で温厚で優しい人である。子育て真っ最中の当時は、夫へも子供たちへも「うしろめたさ」を感じていたかもしれない。
ご本人を知っているだけに、このエピソードを読んだとき、自分も子育てをしているということもあって、なんだが胸が痛んだ。
同時に、世の中にはいろんなご家庭がある、と強く思った。
みんな、他所の家の中のことをすべて見ることはできない。
話に聞いたり、実際に目にしたりして、こんな感じ、と想像することはあっても、それは実際の姿ではない。
隣の芝生は青く見える、というけれど、あれこれと「周り」と「自分」を比べては、ああでもないこうでもない、とついつい思ってしまう。
ときには、ちゃんと家事と子育てをこなせていない自分に、ひどく落ち込んでしまうこともある。
けれど、すべてを「完璧」にこなしている人なんて、実際にいるのだろうか。
みんな、足りないところがあるから、不完全だからこそ、「人」なのであり、その足りない部分を、ときには家族に、ときには友に、助けてもらっていいのではないか。
みんな、みんな違った生き方、考え方をしていて、みんな違っていていいのだ。
エッセーを読んだとき、ふとこの考えに思い当って、少し気が楽になった。
気楽に、自分という「人間」を受け止めてあげながら、ゆったりと構えて生きていきたい、と強く思う今日このごろである。