本と本屋さん。『bookspooh』

心を癒してくれる読書と本屋さんが大好きです。町の本屋さんを応援しています!

最近の図書館って……

最近、関西の図書館がすごい!

これが図書館なの……と、テレビやネットなどでその器を見る限りには驚いてしまう。

 

今日、紹介したいのは和歌山市民図書館

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目にしたとき、これ、本当に図書館なの? と、目を疑った。

まるでお洒落な本屋さんみたい。

それもそのはず。

こちらのエリアは、スターバックスと蔦屋書店が併設されているフロアのようである。

スタバと蔦屋と聞いて納得。

言われてみると、どちらの店舗にも共通するテイストが入っている。

 

でも、この図書館のすごいところは、スタバと蔦屋書店だけでなく、和歌山の名産品や特産品なども販売しているらしい。

 

肝心の図書館のフロアは、ライフスタイルやティーン、そして幼い子供たちのためのコーナーも設けられていて、和歌山市民図書館のホームページで見る限りには、どれもお洒落な本屋さんのようである。

 

こんな図書館が近くにあれば、大好きな本に触れ合いに行くだけでなく、ちょっとしたのんびりカフェタイムも過ごせる。

 

大阪にも、今年、中の島に子ども図書館ができた。

これは安藤忠雄氏の貢献が大きなものなのだけれど、建築家、安藤忠雄氏についても少し書きたいので、こちらの図書館は日を改めて紹介したい。

 

さて、和歌山市民図書館に話を戻すけれど、この図書館は私が幼いころの図書館とは全く違う存在である。

そもそも、ただ単に本を借りに行く場所、というだけが図書館の役割ではなくなってきているのだろうと思う。

もちろん、老朽化などによる建て替えのタイミングで、そのときどきの時代にあった「造り」に変改していくことは当然かもしれないけれど、インターネットなどのデジタル社会が進み、本を読むことも、これまでのような紙面によるものだけではなく、オンライン上で、スマホタブレットなどで簡単に読むことができるようになった。

そんな中で、紙の媒体を扱っていくのだから、その在り方は変わっていくのが自然のことかもしれない。

 

個人的には、大好きな本に触れることができる場所が、よりお洒落で、よりリラックスできる癒しの空間に変化して日本中に増えていくことはとっても嬉しい。

和歌山市民図書館にはいつか行ってみたいと思うし、こういう図書館が日本全国に増えて行ってくれれば、本という存在が多くの人にとってこれまで以上に素敵な存在になっていくだろうし、大好きな「本屋さん」の在り方も、より魅力的に変化していくのではないだろうかと思う。

 

けれども、一方で、これまでのような、つまりは私が子供だったころのような町の本屋さんのままでは、この先生き残ってはいけないだろう。

これまでにも何度か書いてきたけれど、本屋さんも、他の様々な業種も、大きな変化を迎える時代が来ているのだと思う。

それは小売店だけでなく、仕事も教育も、もっと言えば人々の暮らしも、いまこの世に存在するすべてのものの在り方が変わっていくのだろうと思う。

 

その変化がどういうものなのか想像さえもできないので、不安が大きくふくらんでいく。

コロナ禍になり、そういうことをよく考えるようになったこの頃である。

 

とはいえ、そうした変化にのまれることなく、自分らしく生きていきたいと強く思う今日この頃である。

毎日の幸せ

8月半ばから、細々した雑用に追われて気が付けばもう11月目前。

あっという間に今年も終りそうだ。

 

 

最近は行動範囲が極めて狭くなり、足を運ぶ本屋さんは駅前の大型書店かネット販売のみ。

せっかく、町の本屋さんを応援したいという気持ちから立ち上げたこのブログだったけど、当初の予定とは違った形でのんびりと進んでいるのが現状。

それでも、細く長く続けていきたいので、本や本屋さんからは離れずに、その時々で感じたことをぼちぼちと書いていこうと思っています。

お付き合いいただければ嬉しいです。

 

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さて、本屋さんなんだけれど、コロナ禍で本を読む人が増えているのではないだろうかと思う。

でも一方で、実際に本を買う人の数は減っているのではないだろうかという心配もある。

本の起源はすごくすごく古いから「本」というか、「紙(的なものに書かれた)読み物」は、たとえ現在の形とは違った状態に変わったとしても、存在はしていくと思う。

ただそれがどんな形になっていくのか、また、今のように手軽に手に取ることができるのかどうかはわからない。

本好きとしては、手軽で身近ないまの存在のまま継続していってほしいとは思っている。

けれど、本に限らず、音楽や映画、テレビなど、この頃は私が子供だったころの「在り方」とずいぶんと変わってきている。

それは芸能的な分野だけではなく、教育や仕事など、ありとあらゆるものが、これまでの「価値観」とは違う形に変化していっている。

その変化の行きつく先が見えない、わからない分、不安になる。

たまたま、新型コロナというきっかけで大きく目に見えて色んなことが変わってきているように思えるが、コロナはきっかけの一つにすぎず、100年単位で世の中を考えたときに、変化の時期がいまきているのかもしれない。

 

そんな不安定で不確定な時代の中だけれど、できれば明るく楽しく暮らしていきたい。

そうするためにどうすればいいのか、わからないから気になった本を読んだり、映画を見たり、音楽を聞いたり……なんていう生活をいまはしている。

何か一つでも「いいな」とか「気持ちいいな」とかいう、ふわっとした気分を得られれば、何か宝物を見つけたかのような気持ちになって嬉しい。

毎日の幸せは、この小さな「発見」と「嬉しい」気持ちの積み重ねなのかもしれない。

なんて思う今日この頃。

 

そうそう。

好きな作家の1人に村上春樹さんがいるのだけれど、彼の『職業としての小説家』という文庫本を先日買った。

まだ読んではいないけれど、ここしばらくのバタバタ生活が少し落ち着きそうなので、久々にゆったりとした気持ちでこの本を読んでみたいと思っている。

読み終わったら、また感想を書きます。

 

生きるって大変だ

どうも、今年の夏は何かが違う。

新型コロナの影響で、気楽な外出は出来ず、家に篭りがちの生活。

その不自由さから生まれるストレスはある。

大いにある、と思う。

でも、それだけではない。

どういうわけか、夏に入り、片付けなければいけない用事や仕事が矢継ぎ早に入ってくる。

不思議なもので、そういうことは小出しにはならず、一度にドンッとやってくる。

気が休まらない。

家にある電化製品などの壊れる時期が重なり痛い出費が続くという、あの状態に似ている。

日々の生活に追われてイライラする毎日が続き、それは子供にも悪影響を与えて、ただでさえイレギュラーな学校生活でストレスがたまるというのに、家では母親が苛立っているものだから、いっそうの精神的負担になっていると思う。

深く深く反省・・・

 

もう少し、どっしりと構えた親に、というか、人間になりたい。

そんなことを強く思う今日このごろです。

 

推理小説らしい推理小説……やっぱりミステリーが好き!

久しぶりに推理小説らしい推理小説に出会った。

 

推理小説らしい推理小説」という言い方はおかしいかもしれない。

そもそも「推理小説」という言葉にしても、かっちりとした定義はあっても、それに加わる読者の「好み」によって、感じ方は大きく変わってもくる。

 

そういう意味からすると、今回で会った小説は、かつてよく推理小説だとかサスペンスドラマだとかを見ていた頃の懐かしい思い出をくすぐってくる、言ってみれば私好みの「推理小説」であった。

 

恩田陸著『象と耳鳴り

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久しぶりに近所の書店に行ったのだけれど、とにかく時間がなかったので、何か目当てがあるわけでもなく平積みされている文庫本たちに急いで目を走らせているときに見つけた。

他の文庫本は何冊も重なっていたけれど、たまたまたなのかこの本は在庫が少なくなっていてあと一冊しか残っていなかった。回りの本の山の中にぽっかりとくぼみができていて、目立っていた。

 

恩田 陸

夜のピクニック』で第26回吉川英治文学新人賞と第2回本屋大賞を受賞。

蜜蜂と遠雷』で第156回直木賞、第14回本屋大賞を受賞。

他にもいくつもの文学賞を受賞している実力派作家である。

 

 

2004年あたりで『夜のピクニック』が話題になったころに、私も恩田陸の名前を知った。以来、気になる作家の1人であったり、読んでみたいと何度も思った記憶があるけれど、手に取るタイミングがなかなか訪れなかった。

そういう経緯がある中で、今回書店で見つけたこの一冊は、なんだか暗示的であって、買ってみようという気になったのである。

というか、本当に時間がなかったので、この本を見つけてレジに向かうまではほんの2、3分ほどのことで、まさにインスピレーションが沸いての購入であった。

 

夜になり、さあ読みだしたのだが、これがなかなか面白い!

というか、短編集を買ったということさえも知らず、開いてみると短編集で少し驚いたのだけれど、この『象と耳鳴り』という奇妙なタイトルは買う前から頭の隅で気になっていたからワクワク感はあった。

 

退職した判事の主人公がかかわる様々な事件が短編になっている。

話によっては、明確なラストがあるわけではなく、そうであろう、という方向性は示されているものの、はっきりとは書かれていない。それがまたいい!

読者の想像力を掻き立てるし、何より、どの作品にも漂う「雰囲気」(少しレトロで、どことなく品があって、ミステリーとしてもけっこう本格的なテイストがある)がとても好みである。

 

収録作品の中に『新・D坂の殺人事件』があるのだけれど、『D坂の殺人事件』というと、あの江戸川乱歩が初めて明智小五郎をこの世に送り出した記念すべき作品であり、かつて乱歩にはまっていた私には、とても嬉しい限りであった。

そう。

この短編集には、乱歩作品にあるようなあの独特の世界観にどこか似た、といって全くの別物なのだけれど、でも何とはなしに漂っているあの「空気感」が感じられるのである。だからこそ、私は好きなのかもしれない。

 

この『象と耳鳴り』は、ミステリーらしい短編ミステリーが読みたいのなら、一度は手に取って損はない作品である。

 

 

ちなみに、今日これを書くにあたり、恩田陸の名前を調べていると、ペンネームの「恩田」は、『やっぱり猫が好き』のヒロイン、恩田三姉妹からとったらしいことが判明。

この作品が好きな私としては、なんとなく、恩田陸という作家と好みが似通った部分があるのかも……なんて嬉しく思ったりしたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

おいしいコーヒーをいれたい

いま、我が家はコーヒーブームである。

 

ある夜、テレビで、有名なバリスタがおいしいコーヒーの淹れ方と、おすすめの道具を紹介していた。

たまたまそれを見ていた私と家族だけれど、丁寧に愛情をもっていれられたコーヒーはテレビ画面越しにもなんだかとてもおいしそうで、といって喫茶店で淹れてもらったおいしいコーヒーを飲みたいという気持ちにはならず、自分でおいしいコーヒーをいれてみたい、という気持ちに向かったのである。

 

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そもそも、以前にこのブログでも書いたけれど、私が『おおどろぼうホッツェンプロッツ』という児童書を読んで、どうにもコーヒーミルがほしくなって買ったことがある。(「珈琲豆を挽く。音楽を奏でるコーヒーミル。」参照)

以来、我が家はコーヒーを豆から挽いて飲んでいたのだけれど、使っていた電気ケトルがコーヒー用ではないので、お湯の注ぎ口がペリカンのくちばしみたいな形になっていてドリップのときにお湯が注ぎにくかった。

ドリップしやすい、お湯の注ぎ口が細いコーヒーケトルがほしいと常々思っていたところでもあった。

 

 

結局、あの番組をきっかけに、豆を買ったり道具を買ったりで、いま我が家はちょっとした喫茶店になった。

上記の写真は、デロンギのホームページから転載させていただいたのだけれど、今回、豆を挽く道具を新調するにあたり、さんざん迷った挙句、デロンギのコーヒーグラインダーを買った。

ちなみにグラインダーとはコーヒー豆を挽く機械のことで、ミルは挽く機械全般をいい、豆をより均一にひく機械は、グラインダーと呼ばれているそうである。

このグラインダーも探してみるとけっこう奥深く、購入の際にはけっこう迷った。より便利に使うために後にハンディクリーナーも買うはめになったのだけれど、その過程や買った道具に関してはまた後日、詳しく書いていこうと思っている。

 

 

ケトルを火にかけ、コーヒー豆のグラムを量る。

我が家は毎朝少し多めにマグカップで飲むので、グラムは決まって30g。

沸いたお湯を、ドリップペーパーをセットしたポットとカップに注ぐ。ポットとカップを温めておくためだ。

豆を挽く。

電動グラインダーだからあっという間に豆が粉になる。

粉の重さが変わってしまうので、グラインダーの刃の回りに残った粉もブラシでさっと集めてから、挽いた粉をペーパーに入れる。

粉を平らに回す。

ここからが好きな瞬間!

タイマーをつけ、いざお湯を投入。

お湯はだいたい90g。蒸らしの時間は60秒くらい。

コーヒーのいい香りがふわっと立ち上ってくる。

良い感じ。

二投目のお湯も90g。

ここでドリップを開始してから2分くらいが経った頃にお湯の三投目。ここで仕上がりの湯量になるように残りの湯を全部いれてしまう。ここで、我が家はスケイルが450gになるまで注ぐ。

だいたい4分くらいでドリップのぽたぽたが落ちるくらい。

 

この淹れ方、バリスタの世界チャンピオン井崎英典さんが Youtube で紹介していたものを参考にさせてもらった。(「世界一美味しいコーヒーの淹れ方 〜ワールド・バリスタ・チャンピオン井崎英典が教える6つのポイント〜」)

映像のようにうまく入れたいのだけれど、なかなかうまくいかない。

素人の悲しいところである。

が、いつか自分と家族が満足できるコーヒーをいれたいと思う今日この頃である。

 

やさしい気持ちを取り戻せるドラマ

女性、40代を過ぎたあたりから、頭のどこかに「更年期」の三文字が引っかかるようになってくる。

年を追うごとにその文字はよりハッキリと形をなし、ちょっと調子が悪くなってくると、この三文字が心のどこかにひっかかる。

 

ここ数日、調子が悪い。

といって、具体的な身体の不調があるわけではなく、せいぜい肩こりや全身のだるさといった程度だ。

軽くストレッチをするとすごく楽になるから、運動不足からくるそれだと思う。

一方で、身体の面ではなく、メンタルの面でも不調である。

すぐにイライラしてしまうし、物事をマイナス思考で考えてしまう。

「更年期」に入りかけているのか……と真剣に思っている。

が、実際に入っていたとしてもいなかったとしても、メンタルの面が不調というのは悩ましいことで、必要以上に子供に厳しくしてしまったと気付いたときは、それはもう最悪である。

 

そんな中、見ると少し気持ちが穏やかになれるドラマを見つけた。

スイート・マグノリアス』という海外ドラマだ。

 

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舞台はアメリカ南部の田舎町。

そこで育った三人の女性は親友同士。それぞれ、離婚、子育て、仕事、恋愛……と、様々な現実と向き合っている。

これだけ書くと、ありきたりな女性向けの恋愛ドラマのように思えるが、決してそうではない。

一言でいえば「やさしい」のである。

三人の親友たちは、損得勘定など全くなく、ときには厳しく、ときには優しく、自分たちの幸せだけでなく相手の幸せのために、互いを思いやりつつ毎日と向き合っている。

その、生きることに一生懸命な姿を、暑苦しくもなく、押しつけがましくもなく、ただただサラッと軽く描いているドラマだ。

登場人物たちはみんな優しい。

どの登場人物たちも人間的で意地悪い部分はあっても、決して「悪」ではない。

私は、小説もドラマも映画も、基本はサスペンスが好きだ。推理物が好きだ。

だから普段はそういうジャンルを多くみる。

このドラマは、そういうサスペンス的なスパイスは全くないし、「悪」もないけれど、だからこそ見ている方は邪心することなく落ち着いて見られる。

登場人物たちの言葉にも癒される。

子育てや仕事のことなんかに触れる会話は、まるで本を読んでいるようにすぅっと胸に入ってくる。

見終わった後はいつも、なんだか癒された気持ちになれる。

 

いまはいろいろなことが複雑になってきて、情報も多くて、色んなことを判断しようとするとすごく疲れてしまう。

そうした疲れは少しずつ少しずつたまってきて、見えないところで大きな「負」のかたまりになっていく。

だからこそ、たとえドラマの中といえども、邪推なく、純粋に相手の心に寄り添おうとする気持ちを持つ優しい人々に出会えると、ほっとするのかもしれない。

 

 

 

 

本屋さんで本を買う

以前、大阪の小さな本屋さんを取り上げたテレビ番組が放送されていた。

隆祥館書店という本屋さんだ。

 

様々なイベントを企画したり、いろんなマスコミで紹介されているみたいだから、ご存知の方も多いかもしれない。

場所は、大阪メトロの谷町六丁目駅の7番出口の向かい側にあるらしい。

テレビ画面に見る限り、外見も店内も「昭和」である。

子どもの頃によく行った近所の本屋さんのそれである。

 

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(※上記写真は、隆祥館書店さんのブログに掲載されていたものを転載させていただきました)

 

子どもの頃は、こうした雰囲気の本屋さんが町にも多くあった。

当時は、どちらかといえば本が苦手であった私も、漫画は買いに行ったものだ。

うちの近所にあった書店は文庫本、文芸本、漫画、雑誌などが中心においてあったように記憶しているが、気が付けばいつのころからか、雑誌と漫画が中心になっていき、文庫本がお義理程度に並んでいるように変わっていった。

そうした期間が何年間か続き、気が付けば、その本屋は閉店していた。

そこだけではなかった。

町にあった多くの書店がそんな感じで消えていった。

駅前にあった、比較的新しく漫画や雑誌だけでなく文庫本も文芸書もそれなりに充実して並んでいた本屋さんも、確か数年前に閉店していた。

悲しかった。

生まれ育った町には、落ち着いた本を探すために足を運びたくなるような本屋さんが、いつの間にかなくなっていた。

 

今回、テレビで紹介されていた隆祥館書店さんは、創業70年を越える歴史を持つ立派な本屋さんだ。

父が始めた本屋さんを、いまは娘さんが引き継いでおられる。

この本屋さんにくるお客さんは年齢も性別もさまざまだ。店主の二村知子さんに本のことを尋ねたりしながら、それぞれが求める本のイメージを店内で具現化していって買っていく。あるいは、お目当ての本を探しにやってくる。

テレビを見ていると、お客さんは単純に本がほしくて隆祥館書店にやってくるのではなく、店主二村さんのお人柄や心の交流を求めてやってきているように感じられた。それこそ、地域に根付いた「小売店の姿」だと思う。

こういう本屋さんが近くに存在していることは、住人にとっても心強いと思う。

気分が向いたときに、近くに馴染みの本屋さんがあるのとないのとでは、地域の住み心地が大きく変わってくると個人的には思っている。

 

ところで、番組内でとても気になるところがあった。

以前から、大手書店と小さな書店では本の納品システムに大きな隔たりがあり、町の書店は発注しても入ってこないという現状があるということは聞いて知っていた。

しかし、映像を通し直に見ると、いっそうのリアルさをもって胸にぶつかってきた。

ただの本好きの素人で、業界のことは知らない人間が口を挟むことではないかもしれないが、小売店が商売を続けていくには、売れる商品を仕入れて売って、そしてまた商品を買って売って、というシンプルな構造が商売の基本だと思うのだけれど、書店業界においてはこのシンプルな基本構造さえも成立しない「お約束」的なルールがあるようで、これでは、若者の活字離れやネット通販が主流という時代の流れ的な要因を省いても、小さな書店が経営を存続していくことは難しいように思える。

 

これまでは、町の本屋さんが消えていく大きな理由は、単純に活字離れやネット通販が増えたから、程度に考えていたのだが、果たしてそうなのか。

集客のため、どの本屋さんも知恵をしぼり、店内の置き方やポップを工夫したり、イベントを企画したり、多くの町の本屋さんは色んなことを必死になって試されていると思う。でも、個人の頑張りとは別のところで、業界の構造はどうなのだろう。書店業界の「常識的なルール」にも問題があるのかもしれず、そうなると「みんな」が生き残るために業界全体で同じ方向を向いて考え取り組んでいかなければいけない、とても大きな問題であるのかもしれない。

何も知らずに、無邪気に「町の本屋さんを応援します」なんて言っていた自分が、いまがんばっている町の本屋さんたちに申し訳ない気持ちになってきた。

といって、いま私にできることはネットではなく町の本屋さんから直に本を買うことか、たまにこうしてブログで本屋さんを紹介するくらいしかできないので、自分ができる小さな応援の仕方で、一軒でも多くの町の本屋さんの生き残りを陰ながら応援していきたい。