本と本屋さん。『bookspooh』

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暮らし方を楽に。「しなければいけないこと」の基準。

パソコンに入っている写真を整理していたら、こんな写真が出てきた。

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子供の頃、ビートルが大好きだった。

いつか大人になったら、絶対にビートルに乗りたい、とまで思っていた。

といって、車好きというわけではない、と思う。

 

小学生のころ、近所にちょっとおしゃれな雑貨屋さんができた。

下町テイストたっぷりの近所では珍しい、少し大人な感じのする、記憶の中では、湘南の海だとか、サーフィンだとかが似合うようなすがすがしい海の雰囲気のする店だった。すぐに閉店になってしまったけれど、その店は子供の私にはちょっと敷居が高いけれど、なんだか特別な気持ちになれるお店だった。

そこに、ビートルのイラストが入っている文房具シリーズが置いてあって、それがなんだかお洒落で、当時の私のお気に入りだった。

下敷きだとか筆箱だとかを買ったような気もするが、残念ながらいまは残っていない。

 

さて、私がビートルに触れるきっかけはそういう雑貨屋さんにあった文房具だったわけだけれど、たまに町やテレビ、映画なんだで見かけるビートルはやっぱり格好が良くって、丸いけれど、どこかスマートな感じがして、色も明るいこの車が好きだった。

私は白黒映画だとかオールディーズだとかが好きで、ビートルのこの形はまさにそういった時代を彷彿させるところが一層気に入っていたのかもしれない。

 

大人になって、免許を持って車に乗るようになって、乗りたい車を考える時、やっぱりこの当時のビートルは魅力的ではある。

けれど、一度や二度の試し乗りではなく、実際に愛車として乗り続けたいか、と聞かれれば、NOと答えると思う。

 

 

いま、乗っているのは日産のノートだ。

最新のe-powerになる前のタイプだけれど、衝突予防機能やサイドやバック、はたまた頭上からの状態を見ることができるカメラはついているので、それなりに中身の装備はついていると思う。

一度こうした最新装備の車に乗ると、運転技術に自信のない私は、特に車庫入れのときなどには最新装備に頼ってしまう。

それに、何かあったときのメンテナンスも大きい。

部品があって、現行の車は、事故だとか損傷だとかがあったときにすぐに対応できる。

あと、車検だとか日々のガソリンだとか、そうした現実的なコストの部分は、車を維持していく上では決してスルーできない。

 

機能や便利さ、コスパを優先してしまう私は、やはり車好きではないのだと思う。

こうして考えていくと、車は自分の「好み」を象徴している部分があるような気がする。

たとえば、私がいまのノートをとても気に入っている理由は、コンパクトで小回りが利くこと、機能的なこと、室内がそれなりに(私にとって)くつろげる空間になっていること、である。

確かに、買うときにあれこれと吟味して買ったから、それなりの思い入れはあるし、たいていの部分において気に入っているから買ったのである。

でもそもそも、そうした気に入った部分は、私の「好み」の集まりであり、私が何かを買うときにこだわるポイントの集まりでもある。

だからこそ、車といえど自らの「好みの象徴」と言えるのだろう。

 

いつの頃からか思うようになったのだが、自分の気に入ったものに囲まれて暮らしていきたい。

もちろん、これは多くの人が思っていることだろうけれど、よっぽど急を要するものでなければ、自分の好みをできるかぎり尊重して、仮に妥協する部分があったとしてもその妥協は自分が納得できるレベルにとどめておきたい。それができなければ、好みと妥協のバランスがうまくとれたものが現れるまで持たない。そうすることで、持ち物は自然と吟味されていくし、むやみに持ち物が増えることもない。

私の場合、家の中に物が増えすぎると心のバランスを崩してしまいがちになる。

イライラしてきたり、心が落ち着かないときに家の中を見渡すと、散らかっていることがけっこう多い。むしろ、さっぱりと物があまりなく片付いているときの方が気持ちがすっきりして落ち着く。

家の整頓具合と心の中身は比例していると聞くので、どうやら私の心は、キャパシティが狭いようである。

それに気づいてからは、できるだけ「やること」「しなければいけないこと」を増やさないようにしようと心がけ、自分で「しなければいけないこと」の基準を低くするように注意している。それでも「しなければいけない」と自分で思うことは増えてしまうので、増えてくるといっぱいいっぱいになってひどいことになる。

とはいえ、することの基準を少し低くするように注意していくと、「しなければいけないこと」は、自分が勝手にしなければいけないと思い込んでいただけで、周囲はそこまで求めていないことも多い、ということに気づいたりした。

それに気づくと、暮らし方は少し楽になったように思う。

それにしても、心の調整というものは、いくつになっても難しいものである。